再びフューレンにて
 中立商業都市フューレンの活気は相変わらずだった。
 高く巨大な壁の向こうから、まだ相当距離があるというのに町中の喧騒が外野まで伝わってくる。これまた門前に出来た相変わらずの長蛇の列、唯の観光客から商人など仕事関係で訪れた者達まであらゆる人々が気怠そうに、あるいは苛ついたように順番が来るのを待っていた。
 そんな入場検査待ちの人々の最後尾に、実にチャライ感じの男が、これまたケバい女二人を両脇に侍らせて気怠そうに順番待ちに不満をタラタラと流していた。取り敢えず何か難しい言葉とか使っとけば賢く見えるだろ? というノリで、順番待ちの改善方法について頭の悪さを浮き彫りにしつつ語っていると、チャラ男の耳に聞き慣れない音が聞こえ始めた。
キィイイイイイイイ!!!
 最初は無視して傍らの女二人に気分よく語っていたチャラ男だが、前方の商人達や女二人が目を丸くして自分の背後を見ていることと、次第に大きくなる音に苛ついて「何だよ!」と背後の街道を振り返った。
 そして、見たこともない黒い箱型の物体が猛烈な勢いで砂埃を巻き上げながら街道を爆走してくる光景を目撃してギョッと目を剥いた。にわかに騒がしくなる人々。すわっ魔物か! と逃げ出そうとするが、箱型の物体の速度は想像以上のものであり、気がついたときには直ぐそこまで迫っていた。
 チャラ男が硬直する。列の人々がもうダメだ! とその瞳に絶望を映す。
 と、あわや衝突かと思われたその時、箱型の物体はギャリギャリギャリと尻を振りながら半回転し砂埃を盛大に巻き上げながら急停止した。
 停止した物体、魔力駆動四輪を凝視する人々。一体何なんだと混乱が広がる中、四輪のドアが開いた。ビクッとする人々の事など知ったことじゃないと気にした風もなく降りてきたのは当然、ハジメ達だ。ユエとシア、ティオも人々の視線など気にした様子はない。ウィルだけは、お騒がせしてすみません! と仕切りに頭を下げている。
 しかし、人々は一切ウィルの謝罪を見ていない。それどころか見たこともない物体から人が出てきたという事実すらもどうでもいい言わんばかりに、眼前で「う~ん」と背伸びしている美女・美少女達に目が釘付けになっている。ユエ達が動くたびに、「ほぅ」と感心やらうっとりとした溜息がそこかしこから漏れ聞こえた。
 ハジメは、四輪のボンネットに腰掛けながら、門までの距離を見て後一時間くらいかかりそうだなぁ~と目を細めた。ずっと車中にいて体が凝りそうだったので門に着くまで外で伸び伸びするつもりだ。魔力駆動四輪は、ハジメが魔力を直接操作して動かしているので、実は運転席に座らなくても操作難度が上がるだけで動かそうと思えば動かせるのだ。
 ハジメが肩の凝りを解すように首をコキコキしていると、ユエがハジメと同じようにボンネットに乗り、その背後にまわるって肩をモミモミし始めた。どうやら、代わりにマッサージしてくれるようだ。ハジメは、頬を緩めその身を任せる。
 シアが、寂しくなったのかハジメの傍らに寄り添うように座り込んだ。それを見たティオが「むっ、妾も参加せねば!」とその巨大な胸を殊更強調しながらハジメの腕に縋り付くように座ろうとして……ハジメにビンタをされ崩れ落ちた。ただ、ハジメの足元で物凄く幸せそうな表情なので問題はないのだろう。
「ハジメさん。四輪で乗り付けて良かったんですか? できる限り隠すつもりだったのでは……」
「ん? もう、今更だろ? あんだけ派手に暴れたんだ。一週間もすれば、よほど辺境でもない限り伝播しているさ。いつかこういう日は来るだろうとは思っていたし……予想よりちょっと早まっただけのことだ」
「……ん、ホントの意味で自重なし」
 シアの疑問に、ハジメは肩を竦めて答えた。今までは、僅かな労力で避けられる面倒なら避けるべきという方針だったが、ウルの町での戦いは瞬く間に伝播するはずなので、そのような考えはもう無駄だろう。なので、ユエの言う通り、アーティファクト類をできる限り見せないというやり方は止めて、自重なしで行くことにしたのだ。
「う~ん、そうですか。まぁ、教会とかお国からは確実にアクションがありそうですし、確かに今更ですね。愛子さんとか、イルワさんとかが上手く味方してくれればいいですけど……」
「まぁ、あくまで保険だ。上手く効果を発揮すればいいなぁという程度のな。最初から、何とだって戦う覚悟はあるんだ。何かあれば薙ぎ払って進むさ。そういうわけで、シア。お前も、もう奴隷のフリとかしなくていいぞ? その首輪を外したらどうだ?」
 イルワや愛子に対する教会や国関係の面倒事への布石は、あくまで効果があればいい程度の考えだったので、大して気にしていない様子のハジメ。その話は早々に切り上げ、シアにも奴隷のフリは止めていいと、首輪をチョンチョンとつつきながら言う。手を出されたらその場で返り討ちにしてやれ、もう面倒事を避けるために遠慮する必要はないと暗に伝える。
 しかし、シアは、そっと自分の首輪に手を触れて撫でると、若干頬を染めてイヤイヤと首を振った。
「いえ、これはこのままで。一応、ハジメさんから初めて頂いたものですし……それにハジメさんのものという証でもありますし……最近は結構気に入っていて……だから、このままで」
 そんな事を言うシア。ウサミミが恥ずかしげにそっぽを向きながらピコピコと動いている。目を伏せて、俯き加減に恥じらうシアの姿はとても可憐だ。ハジメの視界の端で男の何人かが鼻を抑えた手の隙間からダクダクと血を滴らせている。
 ハジメは、俯くシアの顎に手を当てるとそっと上を向かせた。その行為に、ますますシアの頬が紅く染まる。ついでに男連中の足元の大地も赤く染まる。ハジメは、“宝物庫”からいくつか色合いの綺麗な水晶を取り出しつつ、シアの着けている首輪、正確には取り付けられている水晶に手を触れて“錬成”をしていった。
 シアの首輪は、シアがハジメの奴隷であることを対外的に示すために無骨な作りになっており、念話石や特定石も目立たないようにデザインを無視した形で取り付けられている。元々、町でトラブルホイホイにならないために一時的なものとして作ったので、デザインは度外視なのだ。
 しかし、シアが気に入ってずっと付けるというのなら、少々、無骨に過ぎると言うものだろう。ましてや、この首輪を贈った頃に比べれば、ハジメのシアへの感情は相当柔らかいものとなっている。なので、ハジメはシアに似合うように仕立て直そうと考えたのだ。
 結果、黒の生地に白と青の装飾が幾何学的に入っており、かつ、正面には神結晶の欠片を加工した僅かに淡青色に発光する小さなクロスが取り付けられた神秘的な首輪……というより地球でも売っていそうなファッション的なチョーカーが出来上がった。もう、唯の拘束用の犬の首輪というような印象は受けない。
 ハジメは、その出来栄えに満足の表情を浮かべる。首を時折撫でるハジメの指の感触にうっとりしていたシアは、ハジメから鏡を渡されてハッと我に返った。そして、いそいそと鏡で首元のチョーカーを確かめる。そこには、神秘的で美しい装飾が施されたチョーカーが確かにあった。神結晶のクロスが、シアの蒼穹の瞳と合っていて実に美しい。
 シアは、指先でクロスをツンツンと弄りながら、ニマニマと口元を緩ませた。そして、ハジメの腕に抱きつくと、にへら~と実に幸せそうな笑みを浮かべながら額をぐりぐりと擦りつけつつ礼を言った。ついでに、ウサミミもスリスリとハジメに擦り寄る。
 シアの幸せそうな表情にハジメは肩を竦め、背中のユエも僅かに口元を緩めながら擦り寄るウサミミをなでなでしている。忍び寄ってきたティオには再度ビンタを喰らわせる。
 いきなり出来上がった桃色空間に、未知の物体と超美少女&美女の登場という衝撃から復帰した人々が、ハジメ達に今度は様々な感情を織り交ぜて注目し始めた。女性達は、ユエ達の美貌に嫉妬すら浮かばないのか熱い溜息を吐き見蕩れる者が大半だ。一方、男達は、ユエ達に見蕩れる者、ハジメに嫉妬と殺意を向ける者、そしてハジメのアーティファクトやシア達に商品的価値を見出して舌舐りする者に分かれている。
 だが、直接ハジメ達に向かってくる者は未だいないようだ。商人達は、話したそうにしているが他の者と牽制し合っていてタイミングを見計らっているらしい。そんな中、例のチャラ男が自分の侍らしている女二人とユエ達を見比べて悔しそうな表情をすると明からさまな舌打ちをした。そして、無謀にもハジメ達の方へ歩み寄って行った。
「よぉ、レディ達。よかったら、俺と『何、勝手に触ろうとしてんだ? あぁ?』ヒィ!!」
 チャラ男は、実に気安い感じでハジメを無視してユエ達に声をかけた。それがただ声をかけるだけなら、ハジメに“威圧”でもされて気絶コースで済んだだろう。だが、事もあろうに、チャラ男はシアの頬に手を触れさせようとしたのだ。
 見た目はチャライがルックス自体は十分にイケメンの部類だ。それ故に、自分が触れて口説けば、女なら誰でも堕ちるとでも思ったのだろうか? シアが冷たい視線を向け、触れられる前に対処しようとしたのだが、その前にハジメの腕がチャラ男の頭を鷲掴みにした。しかも濃厚な殺気付きで。
 チャラ男は一瞬で身を竦めて情けない悲鳴を漏らした。ハジメは、そんなチャラ男の様子を気にかけることもなく、そのまま街道の外れに向かって投擲した。チャラ男は、地面と水平に豪速でぶっ飛び三十メートルほど先で地面に接触、顔面で大地を削りながら、名古屋のシャチホコばりのポーズで爆進し、更に十メートル進んで一瞬頭だけで倒立をした後、パタリと倒れて動かなくなった。
 砂塵がもうもうと舞い、ピクリとも動かないチャラ男が大地に横たわる。その様子を見ていた周囲の人々は、人が有り得ない軌道で飛んでいく光景を目の当たりにし唖然とした面持ちで、その光景を作り出したハジメに視線を転じた。チャラ男が侍らせていた女二人も恐る恐るハジメを見て、絶対零度の眼差しで周囲を睥睨する姿に震え上がり、悲鳴を上げながら何処かへと消えていった。
 先程まで、「てめぇら、抜け駆けは許さんぞ」と互いに牽制し合っていた商人達は、今や「どうぞどうぞ」と互いに譲り合いをしている。睥睨するハジメの眼差しが、次はどいつだ? と如実に語っていたからだ。
 誰も進み出ない事に、満足気な笑みを浮かべたハジメは、もう周囲の人々に興味はないと眼差しを穏やかなものに戻した。
「はぅあ、ハジメさんが私のために怒ってくれました~、これは独占欲の表れ? 既成事実まであと一歩ですね!」
「……シア、ファイト」
「ユエさぁ~ん。はいです。私、頑張りますよぉ~!」
「ふぅむ、何だかんだで大切なんじゃのぉ~。ご主人様よ。妾の事も大切にしてくれていいんじゃよ? あの男みたいに投げ飛ばしてくれてもいいんじゃよ?」
 シアが、自分に触ろうとしたことでハジメが怒った事に対し、身をくねらせながら喜びを表にする。実際、シアが許していないのに我が物顔で彼女に触れようとする事をハジメも許すつもりはなかったので、独占欲があったわけではなかったが、シアが大切故の行動であることに違いはなく敢えて訂正する事はなかった。
 ちなみに、投げ飛ばされたチャラ男を羨ましそうな目で見つめていたティオが、期待したような目で擦り寄ってきたので、ハジメはやはりビンタで対応した。「あぁん!」と艶かしい声を上げながら幸せそうに崩れ落ちるティオに、ハジメは実に冷めた目を向けていたが、それも嬉しいのか「ハァハァ」と興奮する。ハジメは、盛大に溜息をつくと「こいつは、もうダメだ」と諦めの境地で意識から追い出した。
 ハジメ達が、そんな感じでイチャイチャし、すっかり蚊帳の外だったウィルが荷台に乗って体育座りで遠い目をしながら我関せずを貫いていると、にわかに列の前方が騒がしくなった。ハジメが視線を転じると、どうやら門番が駆けてきているようだ。おそらく、先程の諍いが見えて、というか未だ削れた地面の上でピクリとも動かず倒れているチ