3 過去の英雄
なんだかランキングに入るなどという偉業を達成してしまいました。
読んでくださる皆様のお陰です。ありがとうございます!
ちょっと想定外過ぎたので、これから設定を全力で練り練りします。
三
鑑は腕輪の端末を操作して、メニューを開く。空間に浮かび上がる様に現れるSF系のアニメや映画等でよく見るタイプのメニューコマンドは、本人にしか確認出来ない。他人からは空間を突付いている様に見えるだけだ。
そのメニューから年表を選び表示される歴史は特にどうという事もない内容だったが、鑑は言葉を忘れたようにただ一つの数字を凝視する。
それはもっとも新しい出来事が書かれていたところだ。
アーク暦2146年4月23日 ミルストン王国に第二王子誕生。「アトルザード」と名付けられる。
そうあった。
鑑が驚愕したのは内容ではない。ミルストン王国など聞き覚えはないが、どうせどこかのプレイヤーが建国した小国だろうと流す。そんな事よりも問題なのは年数の方だ。
慌てて年表の右上に表示されている現在時刻を確認すると、アーク暦2146年5月12日 午後3時12分 となっている。
これはどう考えてもおかしい事だ。これでは『今』より三十年は経っている事になってしまう。少し戻って見直してみるが身に覚えのない歴史ばかりが並んでいる。
そして話にあった十年前、2136年6月24日 三神国防衛戦勃発 とある。
鑑が不可解に思った事がまず一つ。バージョンアップがあったならば、それもしっかりと年表に表記されるはずだった。試しに、もっとも古いところまで年表を遡ると、アーク暦2112年9月1日 アーク・アース オンライン正式サービス開始! と大きく装飾までされて書かれている。
それから二回あったバージョンアップもしっかりと記載されていた。しかし、つい昨日あったであろうバージョンアップについてはバの字すら見当たらない。一年分を見返してもバージョンアップは鑑の知っている二回しか見当たらなかったのだ。
これはバージョンアップのせいではないのかと、鑑の脳裏に不安と同時に疑問も浮かぶ。
バージョンアップがなかったのならば、漂う匂いや草の味はなんだったのだろうか。
そこでメニューを閉じて顔を上げる。
「すまぬが、水を貰えぬか?」
隣で召喚されたダークナイトの持つ剣を興味深げに見つめていた隊長に声を掛ける。
「ん? おお、いいぞ」
水の入った皮袋を隊長から受け取ると、その小さな唇を皮袋の口に当て中身を喉へと流し込んだ。温く、塩分補給の為少し塩辛さを含んだ水が舌を濡らす。
「ふむ、水、じゃのぅ。ありがとう」
皮袋を返し喉元に手を当てる。当たり前のように感じた味と喉を潤す感覚は今までの『アーク・アース オンライン』には無い要素だ。
やはり何かがおかしい。余りにも五感が現実的過ぎている事に違和感を覚える。飲むという行為も回復薬を飲んだりするため前から出来るが、味はおろか喉越し等、感じ無いものだった。ただただ漠然としすぎた現状に、理解が追いつかず眉を寄せる。
ローブを脱いだり着直したりした時にも、肌に布が擦れる感触は現実そのもの。
今までのVR技術による五感は研究段階だ。電気信号や電磁パルスなどによりそれなりには再現出来るものもあるとはいえ、VRでの感じ方はせいぜいが触れた事が分かる程度が限界であって、リミッターで痛覚を抑えている等というものではない。
今の状況は、余りにも現実的過ぎている。流石にここまでとなると、技術の進歩という一言では表せない進化だ。技術というのは日進月歩、昨日今日でここまで再現できるはずがない。
鑑はそう冷静に考えると、最初に立てたバージョンアップによる影響を撤回する。VRでは、これ程の再現はやはり不可能だと。
そして一つのありえない予想を描くと、即それを一蹴する。それこそあるはずがない。
しかし現状から、それを完全に否定する事は出来なかった。
そう、これは現実であると。
VR技術による完全な体感型VRゲームが出始めた頃から実しやかに囁かれていた都市伝説の類にその様なものがあったのだ。曰く、ゲームの世界はどこか別にある現実の世界だと。そして、何れプレイヤーはその世界に囚われると。
もちろん鑑はそんな噂など信じていなかったが想像した事はある。そしてそれは正に今のような状態に酷似したものだった。背筋を悪寒が走る気配を感じると否定するように頭を振り、そんな馬鹿なと天を仰ぐ。
ただの不具合かもしれないが、最低限の注意はしておいた方がいいだろうと結論付けて鑑は考えるのを止めた。これ以上考えても答えは出ない気がしたからだ。
「グライア隊長。ホブゴブリンのアジトらしき砦を発見しました! っと、そいつは何者ですか?」
森の捜索へ向かった小隊が戻ると、一瞬の間をおいて緊張の表情を浮かべ後ずさる。グライアと呼ばれた隊長の傍で佇む、異形の騎士の黒い顔に光る赤い目と視線が合ったからだ。
それでも彼は、その黒い騎士を誰も警戒していない様子から危険は無い事は悟ったが、見た事も無いその存在は圧倒的な威圧感を放っているため緊張は解けなかった。
「ああ、この黒い剣士はここにいる…………このお嬢ちゃんが召喚したものだ。害はないから安心しろ」
「となると召喚術士ですか? それはまた珍しいクラスだったんですね。するとこれが武具精霊というやつですか。話には聞いていましたが……これ程の威圧感があるとは思いませんでした」
「うむ、私も初めて見るが驚いたよ」
それからグライアは戻ってきた小隊に状況の説明をする。ここのホブゴブリンはダークナイトが倒した事、少女は一人で仲間は居ない事、なので他の小隊を呼び戻すように数人を送る様にと指示を出す。
騎士団がそんなやり取りをしている中、鑑は二人の会話にあったある点に注目する。
それは、召喚術士を珍しいクラスだと言っていた事だ。確かに、人数で言えば少ない部類には入る。ちなみにもっとも多いのは聖術士だ。回復や補助の術を扱うクラスで、それ故の人気だという事は誰から見ても分かりやすいことだろう。
術士系クラスは選んだ時点で最低限の術は使える様になっている。魔術士ならば【魔術:火炎】聖術士ならば【聖術:ヒール】と【聖術:プロテクトフォース】といった具合だ。
そして召喚術士の初期スキルは【契約の刻印】というものだ。これは、倒した精霊に使う事で自身の召喚精霊として使役できるようにするという、何の攻撃力も持たないスキルだった。そしてこれが召喚術士を上級者クラスと誤認させ、後発の召喚術士の抑止となっている最大の原因でもある。
精霊をただ倒すだけならば難しい事ではない。知り合いに頼んだり傭兵でも雇えばいいだけだ。しかし、召喚精霊とするためには召喚術士自らが一人だけで、精霊の体力を100%削らなくてはいけないという誓約があったのだ。
もちろん鑑も同じ道を通っている。大量の薬を買い込み、大量の爆弾系アイテムを買い込み、『ユベラディウス古戦場』で武具精霊と二時間殴り合って、やっとの事で契約したのだ。それがダークナイトであり、使い勝手もさることながら初の召喚精霊という事も相まって愛着も深く、長く付き合う相棒となる。
しかし、これは誰もがやれる事ではない。掲示板で基礎知識を漁った者はその難易度の高さから召喚術士を避ける傾向があったのだ。
とはいえ、召喚術士も居ないわけではない。むしろダンブルフに憧れ召喚術士に作り直したり、掲示板で武勇伝を見て召喚術士を選ぶプレイヤーも少なからずは居たのだ。
しかし騎士団の二人は、話には聞いている……だとか、初めて見るが……だとか、何やら召喚術士の不人気さが再燃でもしたのではと不安にさせる内容だ。これは召喚術士の頂点として君臨していた鑑にとって放置できる状況ではない。
「っと、そういえば、お嬢ちゃんの名前を聞いていなかったな。私はグライアだ。グライア・アストル」
召喚術士再建のためにどでかい事でもかまそうかと思案していると、グライアに名前を訊かれ視線を向ける。
そして鑑はその質問に違和感を持つ。
この隊長の行為、それは現実では当たり前の言葉。
相手の名を尋ねる。
自分の名を名乗る。
初めて会う相手との当然のやりとりだ。まぁ気の置けない相手だったら名乗り等しないが。
だがゲーム内ではどうだ。対象を調べれば視界に文字が投影され、相手の頭上に表示されるのが名前であるという常識がある。もしも名を訊くということがあったならばそれは「ZZZZZZさんってなんて呼べばいいですか」くらいのものだ。
グライアは名前を名乗った。それは鑑が注視して調べてみても偽りは無く、グライア・アストルと表示される。このように名前は聞かずに調べればすぐに分かるものだ。
ここである仮定を思い浮かべ、試しに鑑は言葉を紡ぐ。
「調べてみて分からぬか?」
「うーむ……。お嬢ちゃん程の腕前で召喚術士ともなれば有名なのだろうが、無学ゆえ見覚えが無い。すまない。誰か知っている者はいるか?」
隊長の問いかけに、誰もが首を横に振り見た事は無いと答える。
「ふーむ、そうか……」
プレイヤーの中には、相手の許可無く調べる事を失礼と考える者も居るらしいと鑑は聞いた事がある。調べてみてと言えば、そんなプレイヤーでも調べるだろう。
容姿が変わりすぎているとはいえプレイヤーならば鑑を調べるだけでその名が、アルカイト王国で最重要人物の一人であるダンブルフだという事は分かるはずだ。しかしこれだけ人数がいるのに誰も分からないと言う。
鑑の仮定は、ここに居る者達は調べるという事が出来ないのではないか。というものだった。
プレイヤーの常識が通じない相手で、その思考も大きく外れている。プレイヤーならば…………というこの認識を改める必要があるのかもしれないと、鑑は顎に手を当てて「ふーむ」と唸り始める。
いくつか集めた情報を元に、仮説を組み上げていく。するとどうだろうか、一度はありえないとした説が徐々に輪郭を帯びていく。鑑は少しだけ戦慄を覚え、その仮説を一蹴する事が出来ずに思考の迷宮に迷い込む。
「いやもう本当すまないお嬢ちゃん。我々は見ての通り剣しか取り得が無い者ばかりでな、術士には詳しくないんだ」
「うぬ? ああ、そういう事では無い。すまぬな」
黙り込んだ少女の姿に、余程ショックを与えてしまったのかと勘違いしたグライアがフォローを入れる。鑑はその言動に、ここにいる者たちはしっかりとした意志を持ち、それでもプレイヤーでは無いのだと再認識すると、ではなんだろうと再び考え込む。
そこで、ゲームである事をはっきりさせる一つの方法を試そうと、鑑はメニューからシステムを開きログアウトを選択……しようとした。けれど出来なかった。それどころかシステムの項目自体が無くなっていたのだ。
革新的な早さで仮説が形を成していく。
はっきりと感じる事が出来る五感。プレイヤーではない「人間」、ログアウト出来ない状況、三十年も経っている時間、そしてバージョンアップ等無かったという現実。
今の技術では到達不可能な五感の再現。プレイヤーならば誰もが知っている事を知らないが確立した自己を持つ者達。ログアウトどころかフリーズした時のための強制終了コードすら認識しないシステム。現実と一秒も違わない時を四年間刻み続けていたはずだったゲーム世界が今は未来となっている。
もし、国家予算並の経費を掛けて開発したとして、それらを実装したのならば必ずあるはずの告知が無い。
似て非なる現実世界。一度は、頭の隅へと追いやったその仮説が再構築されていく。それを踏まえた上で、この世界は延長線上なのか、まったくの別世界なのか。もう一つの質問を紡ぐ。
「お主は、ダンブルフという者を知っておるか?」
時間的には過去の人物となる自分自身の事を訊く。
「もちろんじゃないか。ダンブルフ様を知らない者などこの国には居ないだろう」
「なあ、皆」と続けると、騎士達も当たり前だと言わんばかりに大きく頷く。