ゾンビたちがエレベーターに群がる光景を横目に、雄介は起き上がった。「いってー……、くそ、靴跡ついてるし」軽く服を払い、ほこりを落とす。「あいつらマジで何がしたかったんだ……?」いきなり三階から降りてきて、ゾンビに襲われて逃げ帰る。雄介からすると、意味不明な行動にしか見えない。「とりあえず、こいつらどうにかしないとなー」目の前ではゾンビが三体、エレベーターの扉を引っかいていた。深月たちが遠ざかったためか、体当たりは治まっている。「うーん……」腰のホルスターに手をやる。誤射を恐れて先ほどは使えなかったが、今ならゾンビの後頭部をぶち抜いて終わりだ。しかし、深月たちが逃げた以上、そこまでする必要があるわけでもない。床は汚れるし、死体の片づけは面倒だし、一階の防衛要員が少なくなるだけだ。下手に数を減らすと、万が一人間が迷いこんできたときに、食料を荒らされる危険がある。なるべくならゾンビは残しておきたい。「ちょっとこっちに来てくれよ。おい、もうそこに餌はいないって」体を引っぱってどかそうとするが、ゾンビたちのしつこさは予想以上だ。人間の残り香らしきものでも探しているのか、扉の前から離れようとしない。「まいったな……」うんざりしながら辺りを見回すと、床に食料が散らばっているのに気づいた。深月のバッグと、雄介のフィールドバッグが転がっている。「食料を持って逃げようとしたのか……?ってことは自暴自棄の自殺ってわけじゃないな。逃げられると思ったのか」雄介は首をひねる。今回の深月の行動が、精神に異常をきたしてのものであれば、雄介は見捨てるつもりでいた。労働力の見込みがあるとはいえ、狂人に関わるつもりはない。「まーいいや。まずはこいつらをどけるか」このまま放置しても、一週間ぐらいは平気で張りついているだろう。出入り自体は他の階からもできるが、いちいち階段を使うのも面倒だ。二階の雑貨コーナーから太めのロープをいくつか拝借し、裏口から入れたバイクと、ゾンビの胴を結びつける。低速でエンジンを回し、床にタイヤ跡をつけながら、じりじりと引っぱっていく。バックヤードから売り場まで引きずり出すと、ゾンビは抵抗しなくなった。そのまま二つある入り口の片方に引きずっていく。バイクから解いたロープを、自動ドアの近くにある柵に結びつけ、そこから一定以上は離れられないようにしておいた。他の二体も同じように、もう一方の入り口と、裏口にくくりつけておく。これで誰かが侵入しようとすれば、ゾンビが襲いかかるだろう。このゾンビたちが無事なら、その入り口は安全という目印になる。「言うなれば固定エンカウントだな」自動ドアの近く、外からは陰になっている場所に繋がれたゾンビを見て、雄介は満足そうにうなずく。「って言っても……」駐車場や周りの道路には、だいたい十人近くのゾンビがうろついているし、一階の売り場にも、まだ三、四人はゾンビがいる。先の例にならえば、ワンダリング・モンスターだ。この中を突っ切ってくるには、それなりの人数か、武装が必要だろう。周囲の探索でもそんな気配を感じたことはなく、あまり不安視しているわけではなかった。「実際、ゾンビの戦闘力ってどれぐらいなんだろうな」鈍いゾンビなら、斧か何かで頭を一撃すれば終わるだろうが、素早いゾンビとなると……。拳銃のある雄介でも、向かってくるゾンビを遠距離で仕留めるのは難しい。動く頭を狙えるほどの腕はないし、胴を狙っても大して足止めにならなそうだ。最初の一撃を何かで受け止めて、動きが止まったところで頭部を撃ち抜く。雄介の腕では、拳銃は、破壊力のある近接武器として使う方が良いだろう。「なんか刃物も見つけないとな」鉈か山刀、あるいはナイフ。手早くゾンビを処理しないといけなくなったときに、一つあれば便利そうだ。そんなことをつらつらと考えながら、一仕事終えたころには、空は赤みがかってきていた。雄介はエレベーターの前に戻り、床の荷物を回収し、上へのボタンを押した。部屋に入った雄介に、最初に気づいたのは弟たちだった。目を丸くし、それからやけにキラキラした目でまとわりついてきた。深月について聞くと、奥の執務机を指さした。机にまわりこみ、下をのぞくと、深月は三角座りをして、顔を膝にうずめていた。「何やってんだよお前は……」あまりな光景に、雄介は脱力する。深月は顔を上げ、バッグをかついだ雄介に気づき、呆然とした表情で固まった。泣き腫らしたように目は赤くなっている。「ぁ……え……なん、で……?」深月は漏らすようにつぶやく。「なんでじゃねーよ。お前何がしたかっ……」そこで、こちらを見つめている弟二人の視線に気づく。雄介は身を起こし、バッグを二人の前に置いて言った。「お前ら、まだ飯食ってねーな?節約とか気にしねーでいいから適当に食っとけ。開け方わかるな?」二人はこくこくとうなずく。「よし。こっちは姉ちゃんと大事な話あるから、邪魔すんなよ」弟たちの視線を背中に感じながら、雄介は深月を引きずって部屋を出た。深月は力なく、されるがままになる。事務所の外に出て、通路まで来たところで、二人は向かい合った。「で?何であんなことしたんだ」「…………」深月はうつむいたまま答えない。「なんか言え。お前ら死にかけたんだぞ」「……ぃ……ない……て」「もっと大きい声出せ」「外……安全かと……思って……」「はあ?」「お父さん……お母さん、家で待ってるから……帰ろうって……」「…………」雄介は黙りこむ。深月も口を閉じ、しばらくどちらも沈黙していた。やがて、雄介がゆっくりと口を開いた。「……電話が繋がるか確認はしたのか?事務所に電話あっただろ」「…………」深月は首を振る。「屋上から街の様子は見たか?安全になってるかどうか確認しなかったのか」「…………」深月は首を振る。「先に一人で降りて、下の様子を見ようとは思わなかったのか?なんでガキども連れてった」「…………」深月は無言でうつむいている。雄介はため息をつき、頭をかいた。「……だって!」深月が癇癪を起こしたように叫ぶ。「ゾンビなんて!そんなの……あるわけ……」最後の言葉は消え入りそうで、ほとんど泣き声になっていた。「……お前ちょっとこっち来い」雄介に手をつかまれても、深月は抵抗しなかった。連れられていった先は、スーパーの屋上だった。専用の階段を登った先にあり、ところどころにタンクや機械設備が置かれている。それらの横をすり抜け、屋上の縁まで移動した。「…………」そこから広がる光景に、深月は無言でいる。スーパーの駐車場のあちこちに、人影がうごめいている。周りの道路には事故車が放置され、人間でないものに変貌した者たちが、その間をさまよっている。「見りゃわかるだろ」雄介の言葉に、深月は答えない。柵を握りしめたまま、じっとその光景をながめていた。だんだんと日は落ち、暗くなっていた。それでも街に明かりが灯ることはなく、ほとんどの家屋は死んだように眠っている。ビルの外壁は暗く、マンションは廃屋のように静けさを保っている。「明かりのついてる所も、生存者がいるってわけじゃねーからな。単に電気がきて、たまたまスイッチが入ってるだけだ」「…………」三十分ほどはその光景を眺めていただろうか。深月はようやく口を開いた。「……みんな、いなくなっちゃったんですね」「ああ」「……お父さんとお母さんは、無事だと思いますか?」「さあな。お前らみたいに運のいいのが、百人に一人ぐらいは生き残ってるんじゃねーかな。ただ、俺が見かけた生存者はお前らだけだ」その言葉を聞いて、深月は何か重いものを押し出すように、小さく息を吐いた。うなだれるように、柵にもたれかかる。深月がぽつりと言った。「……武村さんは、なんでそんなに普通なんですか」「うん?」「街がこんなになって……怖いと思わないんですか?それに、さっきだって……どうやって、あんなのを相手にしてるんですか?私、武村さん、死んじゃったと思って……」深月は不可解なものを見るような目で、雄介を見つめてくる。(やべ。言い訳考えてなかった)雄介は無言で頭を回転させる。確かにあの状況から生還するのは、普通の人間には無理だ。しばらく悩んだあと、雄介は上着の下に隠れているホルスターに手をやり、拳銃を取り出した。「こいつを警官の死体からいただいた」深月はしばらくそれが何かわからないようだったが、その正体に気づくと、息をのんだ。「……おもちゃじゃ、ないですよね?」「本物だ。さっきの奴らもこれで片づけた」あの混乱した状況だ。深月も錯乱していたようだし、細かい部分については気づかれないだろう。ただ、拳銃を持っているからといって、ゾンビの中を自由に動けるというのは無理がある。「あー、それにだ。あいつらは人の感情に敏感なんだ。ゾンビに恐怖を感じたりすると、それを察知して、群がってくる。平常心だ。禅の心だ。無心になって、あんまり近づかなければ大丈夫だ」適当に言い訳を並べながら、雄介は自分で噴き出しそうになった。自身の感情がやや磨耗しているのは自覚しているが、最初にマンションの廊下でゾンビと対面したとき、雄介は腰を抜かしかけた。その状態でも襲ってこなかったのだから、単に雄介が特別なだけだ。とはいえ、ゾンビに恐怖心を抱くなというのは、普通の人間には難しい。怪しくても、その真偽は確かめられないだろう。しかし、それらの言い訳を、深月はほとんど聞いていなかった。黒光りする拳銃に、完全に意識が向いている。やがて、ぽつりと言った。「……それで脅したら、私なんて自由にできたんじゃないですか?」食料で取引などせずとも、無理やり深月を襲えたのではないか、という言葉だ。雄介は眉をしかめ、「自惚れんなよ。お前の体なんぞに……興味はあるけど、ただで食い物手に入れようってのがムカついただけだ」「…………」深月は拳銃から視線を外し、街の様子を眺める。日は沈み、街は闇に溶けはじめていた。その中でうごめく、異形の影。食料を得るのが命がけという言葉が、ようやく実感をもって迫ってきたらしい。深月は過去の記憶を思い出すように、ぼんやりと視線をさまよわせたあと、しみじみとつぶやいた。「……そう、そうでしたね……私が……」その儚げな雰囲気に、雄介は不安になる。ここで飛び下りでもされたら、今までの投資が無駄になってしまう。「……まあ、ともかくだ。日本が全滅ってことはないだろ。いつ救助がくるかもわからんが、それまではキリキリ働いてもらうぞ。お前、俺にすげー借りがあるんだからな」「…………」深月はさまざまな感情を封じこめるように、柵をつかむ自分の手を、じっと見つめていた。やがて、こくりとうなずく。それきり会話は途絶えた。雄介がきびすを返すと、深月も大人しくついてきた。屋内への扉の前で、深月に呼び止められる。「あの」「なんだ?」「できれば、弟たちが寝たあとでも……いいですか?」「あ?おう」「......更衣室なら,鍵がかかりますから」「うん?わかった」 深月は一度だけ屋上を振りかえる。暗闇ですべてがおぼろげになっている。深月は未練を断ち切るように息を吐き、階段を下りる雄介の後に続いた。
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